《内 容》
2015年12月。抗がん剤による治療が中止となった。
6年間続けてきた積極的な治療が難しくなり絶望の淵に立たされた延さん。授業の後半にその時の思いを語った。妻の浩子さんをはじめ教え子らとの交流が胸に迫るとともに、最後まで自分らしく生きていこうと決意する延さんに万感の拍手が送られた。
最後の授業。最後のメッセージ。
《内 容》
2015年12月。抗がん剤による治療が中止となった。
6年間続けてきた積極的な治療が難しくなり絶望の淵に立たされた延さん。授業の後半にその時の思いを語った。妻の浩子さんをはじめ教え子らとの交流が胸に迫るとともに、最後まで自分らしく生きていこうと決意する延さんに万感の拍手が送られた。
最後の授業。最後のメッセージ。
《内 容》
発症から6年間。再発と治療を繰り返す日々。
そのなかで希望も生まれた。それが、長年主治医として寄り添ってくれた稲田医師との結婚だ。延さん43歳。抗がん剤に耐性ができ、がん治療は厳しい状態を迎えつつあったが、伴走者とともに病と向き合えるようになった。
涙と笑いが交差した6年をたどる。
《内 容》
38歳で診断された大腸がん(直腸がん)。小児がんに続く二次がんだった。
手術、放射線、抗がん剤など治療を続けるものの、再発さらには再々発を繰り返し長引く入院の日々。その日々を取材したドキュメンタリー映像を通して、これまでにない“緩和ケア”の概念を伝え、緩和ケアから導き出される“生きるための支えとは何か”を考える。
映像後の延さんの感想に、その思いは凝縮されている。
《内 容》
ネクタイをして、いつもように元気な挨拶ではじまった最後の授業。がんが進行し、心身の疲労や痛みに悩まされるなか、延さんにとって大切な一日がはじまった。
最初に語り出したのは、「なぜ教師になろうと思い至ったのか」、そして「何を伝えようと考え続けてきたのか」。そのきっかけは、13歳の時の小児がん経験にあった。
「最後の授業〜延哲也を生きるということ〜」たくさんのご来場ありがとうございました。長い時間を立ったままお聴きいただいた方々もたくさんいらっしゃって、たいへん恐縮している次第です。
ちょっと自分の「予習」が足りず、つたない授業になってしまいました。ごめんなさい。でも、病気であるとかそういうのとは関係なく、「今、生きていること」をあらためて見つめ直す機会として、しっかり「復習」をしていただければいいのかなと思っております。
駆けつけてくれたたくさんの教え子たち、本当にありがとう。みんなに会えたことがいちばん嬉しかった。先生はちゃんと元気だし、これからもずっと笑顔だから大丈夫。みんなもこれからの日々を、できるだけ笑って過ごしてください。
「最後の授業」のことはまたあらためて書きたいと思います。とりあえずは昨日お会いできたすべてのみなさん、ありがとうございました。
1月24日、本日の天気予報「大雪、風雪、雷、低温、着雪注意報」が発令。窓から見えるのは一面の雪模様。こんな大変な日に何をしているのかというと、実は22日より入院中。下腹部にドレーンを挿入する手術をすでにおこないました。御多分にもれず、痛かった!
術後の痛みも治ってきて、さて退院かぁなんて考えていたら窓の外は雪、雪、雪。全部が真っ白になってしまった風景を眺めていたらどこかしら冷静にもなれて、なるべく早く退院しようと思っていたのが現在の症状などよくよく考えてみると、「あ、これはあせらずゆっくり治すことが優先かぁ」なんて、素直におりこうさんになることもできたりで、おそらくは週末の退院を目指していくことになるのかな。この天気と休日で主治医もいないので、すべては明日からいろいろなことが決まっていくのでしょう。
40年に一度の大寒波とニュースでは報じています。朝からずっと雪が降りしきっていても、淡いグリーンの病院の建物が白く染まるわけでもなく。しかも地方の中規模病院で全然大きくもない「白い巨塔」とはかけはなれた病院の6階でぼんやり入院中。ただ、退屈な入院生活でこれだけの雪景色が窓から見えるだけでも気分転換になるんだよね。生活している方たちは交通のことなどで大変でしょうけど。こんな日は不要不急の外出はできるだけ控えてくださいませ。
「クリスマスイブは手術室で。その1」にて、1度目の痛みを抑えるためにおこなった治療はうまくいかず次なる手段へ。
後日、入院は12月24日に決定。ん?クリスマスイブ?あらら…とはならず、以前年末に手術して新年を病院で迎えたこともあるのであまり気にすることもなく。1つだけ、クリスマスケーキは食べたかったなぁと思うくらい。1泊で終わるらしく、がんばろう!ってわけでもなく痛いの嫌だなぁと憂鬱な日々を過ごすわけでした。
新たな痛みを抑えるためにおこなう方法。舞台は手術室、透視で位置を確認しながら針を刺していくもの。さらに2通りの治療を説明していただき、先生のおすすめは背中から骨盤内へ100mm程度の針(長い!)を骨盤内まで到達させ、目標の地点に薬剤(エタノール100%)を注入する方法。神経を破壊して病巣付近の痛みを取り、さらには足のしびれも和らげようという作戦。副作用との兼ね合いを考えても自分には都合よいこともあり、この作戦の実施を前提に計画を進めるよう決定。ちなみにもう1つの方法は、仙骨と尾骨の間から針を(こちらはさほど深くはないが)刺して薬剤(同じくエタノール100%)を注入するもの。どこかイメージ的に「尾骨に針を刺す」というのが強烈で、どちらかと言えば前者かなと思ったのも事実。決まることは決まってクリスマスイブへのカウントダウンはスタートしたのでした。
街はクリスマスムード、などとはこれっぽっちも感じない田んぼ道を病院へ向かうタクシーは走り続け、運転手さんとの世間話でも景気がいい話題はないまま本日の戦いの場へ到着。入院するのは緩和ケア病棟、各種の説明などを終え昼食はコンビニのサンドイッチを食べた。1泊2日限定の入院でなんとなく病院の食事は敬遠したい気持ちもあった。治療の前1時間は絶飲食で、まだ時間もあったので寝ころんでのんびり。と思っていたら「予定が1時間早まりました」という知らせが入り、急にあわただしくなってしまったわけでした。車いすで手術室へ向かうと、なんとそこには赤い服着たサンタクロース…なんているわけもなく、薄いグリーンの手術着を着たスタッフの面々。頼もしそうに見えたのがせめてもの救いですね。さぁ、いざ手術台へ。
消毒、局所麻酔などひと通りの手順を済ませ透視で確認しながらの治療になりますが、前述のとおり稀代の痛がり。消毒の冷たさにビビり局所麻酔から叫んでいたことは言うまでもなく、 加えて100mmの針!痛い時も下手したらそうでなくても痛がっている始末。先生やスタッフの方々には大いにご迷惑をおかけした次第です。苦労の甲斐(刺したのは先生やっ!)もあって針は目標地点へ到達、造影剤で確認した上で薬剤を注入。量が多いことと何と言ってもエタノール100%の刺激、刺す痛みが終わったと思ったら大きな痛みの第二波が、しかもしばらくの時間継続していきました。気絶するかしないかという状態だったようにも感じつつ薬剤の注入終了。長い針もゆっくりと抜かれ、本日の戦いは終わりを告げたのでした。
どこかしら安堵感が漂う空気の中、世界の誰よりもホッとしていたのは自分。ようやく終わった、病室へ帰れると思っていたのですが、まわりの様子がなんとなくそうでもない感じ。治療のためのうつ伏せになったままの姿勢でいると先生から。
「ノブさん、相談が…」「今の姿勢で造影、がしっかり撮れているし、せっかくだからもう1つやっときましょうか?」
「えっ?もう1つって?あの、えっと、例の尾骨あたりからのやつですか?」
「そうです。合わせればより一層の効果も望めると思いますけど…、どうしましょうか?」
まさしく聞いてないよー!!って感じ。この場で、しかもこの状態で決めるというのも酷な話。答えは単純、YesかNoか。えーっ!どうする?よーく考えたうえで、なんて時間などあるわけもなく、やらないよりはやった方が…。はっきり言って自分でもよくわからないまま先生に、
「お願いします。」
と伝え、次の治療へそのまま突入。局所麻酔から尾骨あたりから針を刺していくのだが、今度は場所が浅い所だったこともあり最初の治療よりは痛みも少なく、と油断していたら薬剤の注入。これが浅い所だけに激痛というよりお尻をそのまま火の中へ放り込まれたような感じで、同様に叫び声を残してそのまま抜け殻になったのでした。
これで本当に終わり。先生とスタッフにお礼を伝えそして先生には、
「僕のサンタさんは先生でした。」
と一言。手術室を出る時にはスタッフのみなさんに、
「よいお年をお迎えください。」
年の瀬のあいさつを済ませ、病室へ戻っていったのでした。ただしベッド上での安静。夕食はコンビニのドリア、それとせっかくの今日という日にショートケーキを1つ。美味しかった。
窓から見えていたのは暗闇に広がる一面の田んぼの遥か遠く遠くに、クリスマスを楽しんでいるのか家の灯りがポツポツと。
あぁ、今年のクリスマスイブお酒は飲まなくても100%のエタノールは体内に。ロウソク刺さずに針刺して、せめてものショートケーキは食べた!
いろんな痛みとともに病室のベッドで静かに迎えたメリークリスマスなのでした。
前回のブログUPからもうすぐ1か月。「ちょっと正念場です」の文章の日付は11月15日。本当にいくつかの正念場が目の前に立ち塞がりました。
11月のほぼすべて入院。腎ろう造設などを施しつつ、ただし結論としては副作用のことなど総合的に考慮し、新しい治療には入らないということ。いわゆる緩和ケアに重点を置くことを決定。これまで試行錯誤しながらも多くの方法を提案してくれた主治医の治療から離れることに。
緩和ケア外来への受診は別の病院へ移ることになり、その病院の緩和ケアを担当されている先生は幸い気さくで感じのいい方でした。こちらの状態や希望を伝え、今後も話し合いながら最善のケアをおこなっていくよう決定。不安もゼロではないのですが、どこかしらホッとした部分も。
退院後の状態、骨盤内での病気による痛み続いておりそれ以上に神経を圧迫することによる足の痛み、時折激痛になって歩くのも困難に。食欲をはじめそれ以外は端的に言えば元気。ただ痛みのコントロールが飲み薬だけでは追いつかなくなっていました。2度目の緩和ケア外来で提案されたのが腰からの注射による痛み止め。外来でできるなど比較的容易におこなえる上、効果も望めるだろうとのことで次回の外来での実施を決定。
そして12月10日。なんとなく和やかな雰囲気で始まった処置でしたが、しばらくののちに悪夢が待っているとは誰も知らず。自身ことさらそういう痛みに弱いのですが、それもこれも治すためだと思い局所麻酔の痛さにも耐えつつ。「すぐ終わりますから」の言葉とは裏腹になかなかうまくいかない様子。座位で背中を丸めて、椎間板あたりから針を刺していき薬剤を注入する予定がなかなか目標の場所まで到達せず、先生は局所麻酔を足しながら自分も背中をグググィーッと曲げながら。自分にとってはただただ痛みとの格闘。時間にして小1時間くらいだろうか、いったん針を抜いたものの先生やスタッフの方一同、どうしたものかとこう着状態になってしまつたその時。もう自分の口から言いました。
「仕切り直しにしましょうか?」
自分で言うのもおかしいのですが、その場にいたすべての者を救った言葉だったのかもしれません。ほどなく処置は終了しました。
痛みを抑える次の方法を2つ提案していただき、いずれにしても入院が必要とのことで手続きのち帰宅。その日に持ち帰ったのは処置による痛み、あぁ悪夢…
というわけで、この続きは「クリスマスイブは手術室で。その2」にて
以下 繰り返しになるかもしれませんが…
11/4緊急で腎ろう造設
腎機能の数値は回復
発熱などはあまり変わらず。
11/5右腰のあたりから体液を少し抜いてみる
発熱などは多少解消
数日は食事も摂れていたものの翌週になって徐々にお腹の動きが悪くなり、固形物が摂れなくなる。
水分摂ったら戻す状態。
溜まっていた腹水を抜く。解消せず。
11/13イレウスチューブ挿入。
状態はかなり楽になったものの、腸の動きが悪いのが腫瘍の影響とも考えられ、
さらに体力的にも今後の治療に入るのは難しいような見解。
腎機能も悪くないので明日造影CTにて今後の方針が決まる予定。
とりあえずの目標は退院して帰宅すること。
ちょっと正念場です。