雨ニモ負ケズ、帯状疱疹(2015/7/22)

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九州北部は梅雨明けもまだで、本日も雨がシトシト降っています。

このブログでも時々書いていたように、現在の治療は通常であれば外来対応が可能なのですが、副作用の関係で私の場合は一泊の入院が必要でした。今月も6日に入院して治療スタート。ここ数か月の最も深刻な副作用は治療の最中に、ある薬が入ると体が震えて息苦しいと言うより呼吸困難寸前のようになり、さらに高熱を発することでした。もちろん万が一のために心電図のモニターでチェックしながらの治療です。しばらくはこの症状をごまかしながら、なんとか治療を続けていた状態でした。

そして今回の治療でも同様の副作用が発生しました。どこかしら自分でも「やばい」と思えるくらいの苦しさでもありました。それでも耐えながら点滴を続けたのですが、主治医の指示で治療を一時ストップすることに。のちに主治医からの説明があり今回をもってこの治療を中止するとのこと。信頼をしている主治医なので決定には素直に従う旨を伝えました。ただ治療が中止になるということは、治療を続けるがん患者にとってそれだけの事ではないのです。たくさんではない治療法のひとつが使えなくなることを意味します。新しい治療があればいいのですが、その保証はありません。また新たな治療が効くかどうかもわからないのです。今までも数種類の治療をおこないながら、様々なきっかけごとに治療法が変更になってきました。特に今回の治療が中止になったことに対して、なぜか悔しい思いでいっぱいでした。それはただ単に治療ができないというだけではなく、現在進行形でがんと闘っているからこそ湧き出てきた感情でもあり、昨年の5月の再発、自分としては最悪の状況と感じた時から始まり救ってくれた治療だったからかもしれません。約1年間、24クールにわたる治療でしたが、主治医からは「この状態で、これだけ長く続けたケースは少ないですよ」との話でした。自分の性格では何があろうと意地でも続けようとしたのでしょうが、ボクシングに例えて言えば、絶対にギブアップせず自分の命をも顧みずに戦い続けるボクサーに、トレーナーがギリギリの状況まで見極めた上で、これ以上にないベストのタイミングでリングにタオルを投げ込んでくれた感じでしょうか。これまで個々の副作用が出る度に工夫を加えながら可能な限り長く治療を続けてくれて、さらに中止という決断をしていただいた主治医には心から感謝している次第です。

しかし、ここで立ち止まるわけにもいきません。幸い主治医より次の治療の提案がありました。新しい治療は服用薬を使用し外来だけで対応可能で、前回の治療よりも副作用は軽いだろうとのこと。であれば、もし仕事に復帰する場合にはメリットになります。効く効かないはやってみないとわかりません。心機一転、今週から始まる治療に備えていたのですが、ところがどっこい先週末から帯状疱疹を発症。あらら!

昨日治療のために受診したところ、帯状疱疹が落ち着いてからと当然の措置で金曜日に延期ということになりました。なーんかうまくいかないものですね。ま、でも長く治療を続けていると、たくさんこういうことを積み重ねてきて今日に至っているのかなとも感じます。そしてこれからも、うまくいかないことがたくさんあることでしょう。

ということで仕切り直しということになりました。治療はこれまでと変わらず全力で立ち向かっていくわけですが、なにより梅雨が明けてくれないと、大好きなゴルフに行けません。言ってみればゴルフは抗がん剤以上の治療効果があると勝手に思い込み、それを大義名分にしつつ病気のことも忘れて緑の中を走り回っているわけですが。

一日も早く、晴れ間が見えてほしいんですけどね。

あきらめない!(2015/7/1)

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7月1日、2015年も残り半分となりました。本日は文章にて4月からの生活が変わったことを報告します。結論から言えば、教員の仕事を失うことになりました。そこへ至った経過を少し説明します。今年の2月、次年度の契約について上司からの話がありました。まず最初に問われたのは「病気によって長く休むことはないのか?」「治療はいつ終わるのか?」ということでした。昨年の5月に病状が悪化し、しばらく入院したことでたずねられたのだとは思いますが、最初の質問には「わかりません。しかしそれは私に限ったことですか?いま健康な人でもわからないじゃないですか?」そして次の質問には「現在の病気が完全に治ることはありません。治療は続けられる限り終わりません。」と返答しました。上司から「現時点では来年度の契約は無い。ただ新入生の人数によっては流動的になるだろう。」との言葉でした。

率直に言って怒りがおさまりませんでした。理由が何であれ働くことに際し、自分の病気を前面に出して話をされたこと。なりたくてなった病気ではないのです。でも局面になると「療養」などのきれいごとの言葉を添えられて、病気であることが利用されるのです。もうその後の交渉を進める気持ちにもなれず、3月の新入生の人数が確定するのを待つことにしました。

職場での当時の立場は非常勤講師、いわゆる非正規です。仕事を辞めさせられることは契約上いたしかたないことですし、業務の評価としての結果と言われればそれまでの話です。ただ自分本位であることを自覚して言わせてもらえば、前述した通り昨年しばらくの入院はあったものの、勤務できる状態の時には仕事に穴を開けたことはありません。具体的にはこの「NoBlog」にも掲載していますが、2週間に1回の抗がん剤治療、月曜日に入院し火曜日には退院ですが、胸部のポートに針を刺した状態で抗がん剤のボトルを携帯して退院します。治療の終了は水曜日の深夜から木曜日の早朝で自分で抜針をします。スケジュールは火曜日午前に授業があるので、退院したその足で学校へ直行し授業をおこないます。翌日も針を刺したまま抗がん剤が導入されながら教壇に立っていました。ただそれは無理をしながらという感覚でなはくて、やるべきことできることを当たり前に実践していただけであり、それ以上に治療の最中であっても生徒の顔を見て、おたがいに笑いながら楽しく教室で過ごすことが自分にとっては病気を治すための最大のエネルギーになっていました。

3月の後半、来年度の契約はないことを正式に伝えられました。その時に補足されたのは「今回のことは病気が理由ではない。」という私からすれば学校側の逃げの口上でした。2月の時点で病気に焦点を置いた話であったのを翻すかのような態度が心中では許せませんでした。ただ結果が変わることもなく、受け入れたという気持ちとも違うのですが現実としては4月からの仕事を失いました。

もっともお世話になり病気のことも理解していただいている上司から、日頃から常々こういう言葉をいただいていました。「お前みたいに病気と闘っている人間を教壇に立たせることが学校としての品格や。」そしてに今回の結論が出てからも、来年に向けての前向きな言葉をかけてくださいました。そのことだけが唯一の救いになりました。

わたしのがんカフェでも「がんと就労」についてさまざまな意見を交わしてきました。いみじくもそれが現実の問題として自分自身が直面する出来事になりました。職場において個々のレベルでは同僚や上司など、がんや病気に対して理解し親身に考えてくれる人もいます。しかしそれが会社など組織の総意になるのは非常に困難なことなのです。実際ひとりの上司が「・・・品格。」と言った考えは学校経営の責任者には皆無だったのだろうとしか思えませんでした。そして社会の中でもがん患者にとって「働くこと」「居場所があること」の大切さを、一刻も早くわかってほしいと切に感じました。

教員の仕事を失ったことは残念、というか正直悔しい思いを味わいました。でも心は全然折れていません。実際に近辺の中学校などからのオファーもありましたが、治療スケジュールとの折り合いがつかずお断りすることになりました。あいかわらずポジティブに日々を過ごし、なによりこのHPの映像タイトル「高校教師をあきらめない」気持ちは一点の曇りもなく持ち続けています。またいつか再び教壇に立ちましたとみなさんに報告できるよう、ノンストップで走っていくだけ、前だけを向いて進んでいくつもりです。たくさんの生徒らにまた会いたいので。