あきらめない!(2015/7/1)

7月1日、2015年も残り半分となりました。本日は文章にて4月からの生活が変わったことを報告します。結論から言えば、教員の仕事を失うことになりました。そこへ至った経過を少し説明します。今年の2月、次年度の契約について上司からの話がありました。まず最初に問われたのは「病気によって長く休むことはないのか?」「治療はいつ終わるのか?」ということでした。昨年の5月に病状が悪化し、しばらく入院したことでたずねられたのだとは思いますが、最初の質問には「わかりません。しかしそれは私に限ったことですか?いま健康な人でもわからないじゃないですか?」そして次の質問には「現在の病気が完全に治ることはありません。治療は続けられる限り終わりません。」と返答しました。上司から「現時点では来年度の契約は無い。ただ新入生の人数によっては流動的になるだろう。」との言葉でした。

率直に言って怒りがおさまりませんでした。理由が何であれ働くことに際し、自分の病気を前面に出して話をされたこと。なりたくてなった病気ではないのです。でも局面になると「療養」などのきれいごとの言葉を添えられて、病気であることが利用されるのです。もうその後の交渉を進める気持ちにもなれず、3月の新入生の人数が確定するのを待つことにしました。

職場での当時の立場は非常勤講師、いわゆる非正規です。仕事を辞めさせられることは契約上いたしかたないことですし、業務の評価としての結果と言われればそれまでの話です。ただ自分本位であることを自覚して言わせてもらえば、前述した通り昨年しばらくの入院はあったものの、勤務できる状態の時には仕事に穴を開けたことはありません。具体的にはこの「NoBlog」にも掲載していますが、2週間に1回の抗がん剤治療、月曜日に入院し火曜日には退院ですが、胸部のポートに針を刺した状態で抗がん剤のボトルを携帯して退院します。治療の終了は水曜日の深夜から木曜日の早朝で自分で抜針をします。スケジュールは火曜日午前に授業があるので、退院したその足で学校へ直行し授業をおこないます。翌日も針を刺したまま抗がん剤が導入されながら教壇に立っていました。ただそれは無理をしながらという感覚でなはくて、やるべきことできることを当たり前に実践していただけであり、それ以上に治療の最中であっても生徒の顔を見て、おたがいに笑いながら楽しく教室で過ごすことが自分にとっては病気を治すための最大のエネルギーになっていました。

3月の後半、来年度の契約はないことを正式に伝えられました。その時に補足されたのは「今回のことは病気が理由ではない。」という私からすれば学校側の逃げの口上でした。2月の時点で病気に焦点を置いた話であったのを翻すかのような態度が心中では許せませんでした。ただ結果が変わることもなく、受け入れたという気持ちとも違うのですが現実としては4月からの仕事を失いました。

もっともお世話になり病気のことも理解していただいている上司から、日頃から常々こういう言葉をいただいていました。「お前みたいに病気と闘っている人間を教壇に立たせることが学校としての品格や。」そしてに今回の結論が出てからも、来年に向けての前向きな言葉をかけてくださいました。そのことだけが唯一の救いになりました。

わたしのがんカフェでも「がんと就労」についてさまざまな意見を交わしてきました。いみじくもそれが現実の問題として自分自身が直面する出来事になりました。職場において個々のレベルでは同僚や上司など、がんや病気に対して理解し親身に考えてくれる人もいます。しかしそれが会社など組織の総意になるのは非常に困難なことなのです。実際ひとりの上司が「・・・品格。」と言った考えは学校経営の責任者には皆無だったのだろうとしか思えませんでした。そして社会の中でもがん患者にとって「働くこと」「居場所があること」の大切さを、一刻も早くわかってほしいと切に感じました。

教員の仕事を失ったことは残念、というか正直悔しい思いを味わいました。でも心は全然折れていません。実際に近辺の中学校などからのオファーもありましたが、治療スケジュールとの折り合いがつかずお断りすることになりました。あいかわらずポジティブに日々を過ごし、なによりこのHPの映像タイトル「高校教師をあきらめない」気持ちは一点の曇りもなく持ち続けています。またいつか再び教壇に立ちましたとみなさんに報告できるよう、ノンストップで走っていくだけ、前だけを向いて進んでいくつもりです。たくさんの生徒らにまた会いたいので。